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2011年7月30日 (土)

<日本の文化をみつめ直す>氏への反論

<日本の文化をみつめ直す>氏から拙ブログに以下のようなコメントを頂きました。

頑張って反論を書きましたので、お読み下さい。

 

(引用始め)

 

この記事を読んで、あなた自身が、求めるような環境に勝手に移り住めばいいと思いました。

まず、私はPL教信者ではありません。

私はだんじりも花火も身近にある環境で育ち、良さも悪さも知っているつもりですが、あなたは悪さばかりを見て良さをまったく見ていない。

だんじりも花火も、その他の祭も、良い事がなければこんなに長く続くはずもなく。
だんじりも花火も、私利私欲のため、悪徳な目的であればすでに排除の方向に向いているはずです。
だんじり祭があるおかげで、都市部であっても田舎暮らしのような老若男女人のつながりがある地域は、だんじりがなくなったらどうなりますか?PLに限らず、花火に平和や鎮魂、弔いを込めたものは多数とありますが、これがあるから無宗教のごく普通の人々であっても、他人を想う気持ちを捧げる行事ができるのに、それを無くしたとしたら、これらの人はどうなりますか。

あなたが見ているのは表面に見えていることだけ、深きところにある良さに触れず、軽き部分にある悪さだけを非難しているように感じます。

そのような浅はかな考えから、もしも深き良きものを無くす事になったら、私は一生あなたの事を忘れないでしょう。

 

(引用終わり)

 

1)まず、PL花火とだんじりは、共通する部分もありますが、少し性質が違います。

そこで、私は分析的に検討するという観点から基本的に両者を分けて書いています。

似たような物事の同じ所と異なる所を検討するのが考えるという事の基本だと思いますが、両者の異なる点を指摘せずに、一緒にして書いている時点であなたは分析的に考えられていないという事です。

 

2)<この記事を読んで、あなた自身が、求めるような環境に勝手に移り住めばいいと思いました。>との事ですが、なぜ私が移り住まなければならないのか、理由が全く示されていません。

合理的な理由を付けて、お示しください。

 

3)<まず、私はPL教信者ではありません。>との事ですが、私は真偽を確かめる事が出来ないので、あなたがPL教信者ではないという事の何の証明にもなっていません。

よって、この文は無意味です。

 

4)<私はだんじりも花火も身近にある環境で育ち、良さも悪さも知っているつもりですが、あなたは悪さばかりを見て良さをまったく見ていない。>との事ですが、仰る通りです。

いくら多数派にとって良いものであっても、私にとっては双方とも単なる騒音をまき散らすものでしかなく、私の静穏権を侵害する害悪でしかありません。

 

5)<だんじりも花火も、その他の祭も、良い事がなければこんなに長く続くはずもなく。

だんじりも花火も、私利私欲のため、悪徳な目的であればすでに排除の方向に向いているはずです。

 

例えば、恐らく<私利私欲のため、悪徳な目的>であろう賭博(パチンコ等)・暴力団などは良い事が無くても長く続いています。

よって、長く続いているからと言って必ずしも良いものであるとは限りません。

6)<だんじり祭があるおかげで、都市部であっても田舎暮らしのような老若男女人のつながりがある地域は、だんじりがなくなったらどうなりますか?

 

私はだんじりの全てに反対しているのではなく、拡声器の使用(ついでに交通渋滞も)について反対しています。

昼間でも止めて欲しいのですが、深夜0時まで拡声器で大きな声を出す必要性はありますか。

酷い所では、未成年者の飲酒や喫煙を黙認し、一晩中騒いでいるそうです。

都市部>の<老若男女人のつながり>を維持するために拡声器で騒ぐ必要性をお示しください。

なお、私にとっては<都市部>の<老若男女人のつながり>はどうでも良く、これらが無くなっても何とも思いません。

 

7)<PLに限らず、花火に平和や鎮魂、弔いを込めたものは多数とありますが、これがあるから無宗教のごく普通の人々であっても、他人を想う気持ちを捧げる行事ができるのに、それを無くしたとしたら、これらの人はどうなりますか。

 

私は、<平和や鎮魂、弔い>だからこそ、静かに祈るべきだと考えています。

他人を想う気持ちを捧げる行事>は、大きな音を出さなくても出来るでしょう。

他人を想う気持ちを捧げる行事>が、騒音を嫌う私の静穏権を侵害しているという事に気がつかれないのでしょうか。

人権侵害の加害者であるという自覚くらいはお持ち下さい。

それを無くしたとしたら、これらの人はどうなりますか。>との事ですが、これらの人がどうなるか私は知りません。

どうなっても私とは無関係です。

 

8)<あなたが見ているのは表面に見えていることだけ、深きところにある良さに触れず、軽き部分にある悪さだけを非難しているように感じます。

そのような浅はかな考えから、もしも深き良きものを無くす事になったら、私は一生あなたの事を忘れないでしょう。

 

あなたの文章からは表面や深い所が、どのようなものなのかが分かりません。

もう少し具体的にお書き下さい。

表面か深い所かは、私はどうでも良いです。

仮に深い部分があったとしても、(拡声器)騒音について反対しているのです。

私は一生あなたの事を忘れないでしょう。>との事ですが、仮にあなたが私の事を忘れないとして、それが何なのでしょう?

 

9)もう少しマシな反論をお書き下さい。

また、運営されているホームページやブログ等があるなら、リンクを貼っておいて欲しい所です。

 

おわり

 

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