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カテゴリー「映画・テレビ」の17件の記事

2016年5月30日 (月)

「もんくもん5・みんなだんじり好きって思わんといて欲しい」

「もんくもん5・みんなだんじり好きって思わんといて欲しい」

 

「もんくもん5」(読売テレビ、2015年6月27日放送)において、「だんじり」について触れられていたので、それについての記録として書きます。

 

この番組は、様々なものに文句を付けていく番組です。出演は、メッセンジャー黒田有・なるみです。一般の人にインタビューをして、それをもとにスタジオで話します。

 

「大阪人が思う大阪へのもんく」で、ある一般の通行人(20代くらいの女性)が「(大阪の人だからといって)みんなだんじり好きって思わんといて欲しい テンテケテンテケ、太鼓と鐘と やかましい」と言っていました。

 

全くその通りです。この事をテレビで顔を出して言える人がいることに驚きました。

 

2016年2月 3日 (水)

「失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話」

「失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話」

 

NHKテレビ放送のETV「失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話」を観たので感想を書きます。

 

作家の辺見庸氏と三菱重工を爆破し死刑が確定した大道寺将司氏との対話です。辺見氏は東日本大震災後「われわれの言語表現の安っぽさ」を感じ、文章を書く事が出来なくなったそうです。辺見氏は被災地の石巻出身だそうです。

 

主語を「われわれ」としている所が気になりました。「われわれ」とはどの範囲の人を指しているのでしょうか。単に日本に住む人々という意味なのでしょうか。辺見氏が言う「われわれ」の中に私が入っているとは思えません。

 

震災や原発事故と三菱重工爆破事件と何の関係があるのかと思いましたが、何の落ち度もない人々が犠牲になるという点で共通点があるという事らしいです。

 

辺見氏は俳句集を出版するために東京拘置所に通い大道寺氏と面会をします。死刑が確定した人でも親族や弁護士以外の人と面会できるようです。

 

利益が出そうにない本を出版する事を渋る出版社を馬鹿にする場面がありました。会社は利益を出さないと存続できません。今は出版不況で出版社も大変だそうです。それに死刑囚の本がそう簡単に売れるとは思えません。だから出版社がそう簡単にOKを出さないのも無理はありません。辺見氏は傲慢すぎです。そんなに出版したければ、自費出版をすれば良いだけです。観ていて腹が立ちました。このような「傲慢」な所は「左翼」特有な気がします。

 

天皇の戦争責任を追及するための天皇が乗った列車を爆破しようとする「虹作戦」が未遂に終わったそうです。作戦が成功して列車が爆破しても天皇の戦争責任を追及をした事になるとは思えません。

 

論理的な文章では表現できないので俳句にするそうです。私に教養がないからなのか、辺見氏の解説を聞いても俳句の意味がいまいち分かりません。

 

安保闘争の時代の出来事です。大きな敵がいてそれを倒せば良いという考えは、理論としては幼くて、それを乗り越えた上で今がある事は分かっているつもりです。ただ、理論として幼くても攻撃性が市民相互(または自分自身)に向って自殺者が多い社会より、市民が国家権力と闘う社会の方がいくらかはマシだと思います。生きづらさを抱えていても、分かりやすい敵がいないので誰と闘ったらよいかも分からない今の時代は「しんどい」です。

 

バックミュージックのジャズがうるさいです。特に必要性もないのに、空白を埋めるためだけに曲を流しているように思いました。

 

2015年2月28日 (土)

「100分de名著・ファーブル昆虫記」

「100分de名著・ファーブル昆虫記」

 

NHK「100分de名著・ファーブル昆虫記」(2014年7月放送)を見たので感想を書きます。

 

1)第1回「命には必ず役割がある」

「ファーブル昆虫記」の原題は「昆虫学的回想録」という難しそうなものです。ただ、学術論文ではなく、一般の人も読める文章だというところがポイントです。ファーブルは55歳から30年間かけて昆虫記を書き上げたそうです。(特にこの時代の人としては)かなり遅咲きです。

 

ファーブルは子供の頃に「太陽を目で見ていること」を発見しました。それを家族に言っても笑われましたが、祖母だけは褒めてくれました。ここから、子供には絶対的な肯定が必要という話に。

このようにして健全な自己愛が育まれていき、少しくらい他人に非難された所でびくともしない人格が形成されていくのでしょう。虐待や「いじめ」はここを奪うものです。

 

家畜だけを輸入したのではフンだらけになったので、糞を処理するために甲虫も輸入した事例から、どんな虫でも役割があるという話に。

この理屈は、人間にも当てはまるということで良いのでしょうか。例えば凶悪な殺人犯はどうなるのでしょうか。

 

2)第2回「昆虫観察を天職と知る」

ファーブルの家が経営するカフェの経営がうまくいかず、一家離散。ファーブルは肉体労働をしながら放浪生活をしていたそうです。

15歳で師範学校に入学したので、これはファーブルの14歳くらいの頃です。何かを成し遂げるには健康で丈夫な体に生まれることが必要条件です。

 

その状態でもファーブルは昆虫への思いを忘れませんでした。働きながら勉強もして15歳で師範学校へ入学しました。生まれつき賢い子どもだったのでしょう。

 

1ヶ月分の給料で一冊の本を買います。このあたりが「普通」の感覚ではありません。並々ならぬ学問への情熱を感じます。そこに書かれていたのが、狩り蜂が捕まえた餌が腐らないことでした。次回へ続く。

 

3)第3回「本能の謎を解き明かす」

狩り蜂の本能は人間の生理学よりも優れている。本能と知能(状況判断)の違い。本能の賢さ、本能の愚かさ。

私はこのVTRを見て、生きたまま食べられる昆虫ではなく人間に生まれて良かったという本筋とは関係のない感想を持ちました。まあ、人間も他の人間に経済的・精神的に搾取されますが。

 

ファーブルは様々な実験をし、蛾が「知らせの発散物」を出していることを発見しました。今では性フェロモンと呼ばれています。

 

女子学生が聴講している講義で「雄しべ・雌しべ」について話し、カトリックから糾弾されて失業します。このあたりは科学的な問題だけではなく、宗教的な問題も関わってきます。この辺りはいかにも西洋という感じです。

 

その後、ファーブルは生活のために100冊以上の本を書き生活が安定したので、昆虫記を書き始めました。失業が結果としては良かったのかは分かりません。昆虫記を書くのがファーブルの本能のようなものなので、ファーブルは生きてさえいれば昆虫記を書いたのでしょう。

 

4)第4回「昆虫から学んだ生と死」

55歳になったファーブルは荒地を買い「アルマス」と名付けて昆虫を観察します。そこでうるさいセミの鳴き声が執筆の邪魔になり困ったそうです。

ファーブルが今の日本にいたら確実に防災無線・家電回収業者の拡声器騒音に悩まされ、行政に相談しても全く解決せずさらに悩みが深くなったはずです。今の日本に生まれなくて良かったですね。

 

妻と後継者にしようと思っていた子供の死。この子供に読んで欲しいという思いで昆虫記を易しい言葉で書いたそうです。

 

フランスが戦争になる。他の動物は同種族同士で殺し合わない。昆虫は力量が互角なときは戦わない。

ここは軍隊・核兵器が抑止力になるとして、軍隊・核兵器の保持を肯定する方向に傾き得る考えです。

 

ある昆虫の死は他の昆虫の命となる。数千匹の中で2匹のオスとメスが残ればあとは犠牲になっても種は絶滅しない。

ここは戦争などで王族のために一般庶民が犠牲になる事を肯定する方向に傾く考えです。また、優生学的な考えでもあります。

 

「死」を意識するのは人間だけ。「死は終わりではない。より高貴な生への入口である」

特攻隊にはこの様な「教育」がなされていたはずです。

 

ここで紹介されたいくつかのファーブルの考えは戦争や軍隊を肯定する方向に傾く(傾き得る)考えが多いです。私は賛成しません。昆虫と人間は違う種なので、違うルール(人権など)が適用されても別に問題はないと思います。1回目から3回目までは良かったのに、最終回で変な方向に行ってしまったと私は思いました。

 

2014年11月12日 (水)

「100分de名著・遠野物語」

「100分de名著・遠野物語」

 

「100分de名著・遠野物語」(2014年6月に4週に渡って放送)を観たので感想を書きます。

 

1)1回目「民話の里・遠野」

民俗学で有名な柳田国男の遠野物語。単なる昔話ではなく、どこの誰がどうしたという住所や人名まで出てきます。

 

爽やかなお話だけではなく残酷な話も出てきます。河童の子を身ごもったとして、生まれたばかりの子供を殺してしまうお話も紹介されていました。良い悪いではなく、当時はこのようにして人口調整をしていたそうです。今なら殺人罪が成立します。

 

母親が育てる気のない新生児をバナナの皮に包んで白アリに食べさせる「ヤノマミ」のような感じです。「ヤノマミ」を観て自分達とは違う価値観の中で暮らしている人達がこの世の中にはいると思っていましたが、日本もほんの数百年前はこんな感じでした。

 

2)2回目「神と繋がる者たち」

「遠野物語」は、およそ100年前の事を聞き書きしたものです。今回は特殊な能力があるひとのお話が紹介されています。おそらく知的障害や精神疾患を持った労働力としては役に立たない人を特技を生かして共同体として受け入れて共に暮らしている話です。

 

今なら精神疾患として治療の対象になるが(筆者注・もちろん治療により安定した生活を送れる人もいる)が、共同体から排除されがちです。対処法は無いが共同体と共に暮らすのと、どちらが良いのか。(伊集院光氏の発言の要約。)

 

火事を予言する人(ある人が民家に石を投げると必ずその家が火事になる話)なんて、民家に石を投げる様な人は今なら通報されて施設に入れられてしまうでしょう。共同体と共に暮らすといっても簡単ではなく、少し(というかかなり)変わった人を受け入れなければならなりません。

 

3)3回目「生と死 魂の行方」

遠野では生と死の境界はあいまいで行ったり来たりするというお話です。

 

神隠しにあった幼女が数十年後に老婆になって帰ってくるお話の所で、伊集院光氏が自身が中退した学校を見に行く話をしていました。悲哀というか何というか、深いものを感じましいた。

 

津波後の話。津波で生き残った男が亡くなった妻とその元彼に会った話です。男は妻が元彼の事を好きなのではないかと疑っていたが言い出せなかったのが深層心理にあったという事です。いわゆる涙を誘うような「良い話」ではありません。良く分からない話です。東日本大震災の復興の参考にならないと思います。この様な私から見たら訳の分からない話も含めて遠野物語なのかと思いました。近代科学は絶対に答えてくれない死(後の世界)を理解するヒントがあるのかもしれません。

 

4)第4回「自然との共生」

動物に対しても一人の人格を持った相手として対等に接するお話が紹介されていました。また、自然界には自然界の掟があると考えられていたそうです。近代合理主義・経済原則と昔からの言い伝えとのせめぎ合いです。語っている人も近代合理主義の側にいる事がポイントです。

 

序文の「外国にいる人に伝えたい」の意味は、外国にいる日本人と、外国の人という二つの意味だそうです。柳田国男は単なる遠野という地方や日本国内だけのことではなく、世界のどの地域にも通用する物語だと考えていたそうです。

 

最後に柳田国男の肉声で、良い事をするわけでもない、犯罪を犯すわけでもない普通の人々の生活を記したものを民俗学と名づけた、という趣旨の事を話していました。通常歴史に残るのは武将や作家などの変に活躍した人の事だけです。「遠野物語」は、遠野という集落で普通に生きる人達の物語です。

 

2014年9月 8日 (月)

「NHK・Eテレのバリバラ」

「NHK・Eテレのバリバラ」

 

NHK・Eテレの「バリバラ」という番組について思う所を書きます。

 

この番組は障害者のための情報を発信するものです。まずは、スタジオのセットが赤と白が基調で落ち着きません。また、出演者のテンションが高すぎて、観ていて「しんどい」です。

 

時々、障害者がお笑いのネタをする事があります。好みの差もあるのかもしれませんが、私から観たら半分位は面白くありません。障害のない芸人ならこのレベルならテレビに出演できないでしょう。特に面白くなくても障害者というだけの理由でテレビに出られるのだなあと思ってしまいます。また、面白くなくても演者が障害者なので「面白くない」と言いにくい雰囲気です。これこそが差別なのでしょう。

 

身体障害と精神障害と知的障害を同じ障害者でくくるのは無理があります。

 

障害者でも芸ができてテレビに出演できる人とできない人の差が出るという事です。世の中残酷です。

 

しんみりしがちな「障害者もの」の壁を破ろうと頑張っているのは分かりますが、何というか無理があって観ていて疲れます。

 

2014年6月14日 (土)

「100分de名著・旧約聖書」

「100分de名著・旧約聖書」

 

NHK教育の「100分de名著・旧約聖書」(2014年5月に4週にわたって放送)を観たので感想を書きます。

 

まず、旧約聖書と新約聖書の違いを始めて知りました。ユダヤ教とキリスト教に共通なのが旧約聖書で、その後のキリスト教についてのみ書いたのが新約聖書だそうです。

 

ユダヤ人を守るべきヤーヴェ(神)は、ユダヤ人を守りませんでした。ユダヤ人達は自分たちを守ってくれない神を見捨てるのかなと思いきや、ユダヤ人達は自分達の信仰が薄いから神が守ってくれなかったと考えたそうです。これが「罪」の概念だそうです。かなり自虐的というかマゾヒスティックです。この辺りは自己犠牲を美徳とする日本的な感じがします。神を見捨てた少数のユダヤ人もいたかもしれませんが、その人達は(旧約)聖書には記述されなかったそうです。ここでの伊集院光氏の落語の師匠と弟子の例えが素晴らしかったです。

 

 

「ヨブ記」について。信仰深いヨブを襲う不幸。何も悪い事をしていないどころか模範的な信仰者なのに、なぜこれほど不幸な目に遭わなければならないのか。この不条理が宗教という感じがします。聖書というと西洋的な感じがしますが、この辺りは今の日本人にも十分に通じるものがあります。最後に神ヤーヴェが現れ、ヨブがまた幸せになるというかなり強引な展開になっていました。

 

そして最後にイエス・キリスト登場です。キリストの所はかなりあっさりとしていました。聖書なのに、主役(?)のキリストがほとんど出てこない事に驚きです。

 

膨大な内容の旧約聖書を100分にまとめなければならないので、かなり省略したのでしょうが、とりあえず一通りは学べました。かなりの情報量でしたが、伊集院光氏の比喩を使ったコメントは秀逸でした。地頭の良さで乗り切っている感じがしました。民放が同じような番組を作ったら、ピコピコと効果音がうるさかったり、芸能人が大げさに驚いたりするような番組になったのでしょう。NHKの底力を観ました。素晴らしい内容でした。

 

2014年3月13日 (木)

「テレビドラマ「赤い糸の女」での拡声器の使用」

「テレビドラマ「赤い糸の女」での拡声器の使用」

 

2012年にフジテレビで放送されていたテレビドラマ「赤い糸の女」(13時30分から14時)での拡声器の使われ方が気になったのでメモとして書きます。原作は中島丈博という方だそうです。

 

このドラマの後半の舞台は長野県上田市です。選挙の演説か何かを知らせる放送が屋外式の防災無線から流れ、貴道麻衣子(上野なつひ)と徳須麟平(瀬川亮)の雰囲気をブチ壊していました。また、自動車に積んだ拡声器を使って徳須と鹿野芹亜(奥村佳恵)が運営しようとする福祉施設の利用者に買い物の送迎の告知をしていました。実際に上田市でこの様な放送がなされているのかどうかは分かりません。原作者の方が田舎のリアリティを追及したらこうなったという事でしょう。

 

静かな環境で暮らすために都会の喧騒を離れて田舎暮らしを始めたら、田舎の方が屋外式の防災無線がうるさかった、という話をよく聞きます。また、私が拡声器の騒音に抗議すると、「そんなに静かに暮らしたいのなら田舎に引っ越せ」という人がいますが、田舎の方がうるさい場合もあるのです。田舎暮らしをする方は、事前に屋外式の防災無線がないかどうかを下調べするべきです。調べてから移住しても、後から防災無線が設置される場合があるので要注意です。もう、どうしたら良いのか全く分かりません。途方に暮れています。

 

2013年12月21日 (土)

「死刑囚の子 殺された母と、殺した父」

「死刑囚の子 殺された母と、殺した父」

 

「死刑囚の子 殺された母と、殺した父」というドキュメンタリーを観たので、メモと感想を書きます。父親が母親を保険金目的で殺害した事件の子供を被写体としたドキュメンタリーです。

 

死刑囚の子という理由で就職の面接で落とされる、採用が決まっても解雇されるそうです。本人に何の責任が無くても不利益な扱いを受けるという不条理です。ただし、特に今は就職難なので、面接での不採用に関してはこの事が原因だとは限りません。

 

父親と手紙のやり取りをしていて、父親からの手紙はかなり丁寧な字で書かれています。被写体は自分を利用してアリバイ作りをしようとした父親を憎みます。憎んでいた父から母親の遺品が送られて来て、表情から複雑な感情が読み取れます。当時小学6年生の被写体はどうすることも出来なかったでしょうが、母親を助けられなかった自分を責めます。父親への憎しみが自分に向かうのか、両腕を切り刻んだ跡が何本も残っています。

 

最後は「背負っていくしかない。・・・刑が執行された時は、・・・背負って前に進んで行こうと思うます」という言葉で終わっていました。ここが特に印象に残りました。

 

殺人事件のかなりの部分が親族間だそうです。もちろん刑罰の根拠は被害者の処罰感情ではありませんが、死刑を執行すれば解決する問題でもありません。

 

最後に、25歳の青年が母親・父親のことを「お母さん」、「お父さん」と呼ぶのが気になりました。

2013年11月 5日 (火)

「「島の先生」での防災無線」

「「島の先生」での防災無線」

 

2013年6月29日の21時から22時まで放送のNHK「島の先生」(第6回、最終回)で屋外式の防災無線の描写があったので記録として書きます。

 

このドラマは、どこかの離島が舞台の物語で、主役の仲間由紀恵が学校の教師役です。屋外式の防災無線で役所の人が放送している所に民間人が割り込んで話し、無線を奪い合いになり、それが島全体に放送されるシーンがありました。私は偶然そのシーンを含む3分ほどを観ただけなので、なぜそうなったのかは分かりません。

 

最近、ドラマやアニメで屋外式の防災無線を使用するシーンが多いと思いませんか。それだけ屋外式の防災無線が人々の生活に溶け込んでいるという事でしょう。今の所、屋外式の防災無線の試験放送がうるさい、という内容のドラマを見た事はありません。

 

おわり

 

2013年3月 4日 (月)

「読売テレビ・ウェークアップ! M’s(2013年2月24日)」

「読売テレビ・ウェークアップ! Ms(2013年2月24日)」

 

読売テレビの「ウェークアップ! Ms 」(2013年2月24日の16時25から17時25分まで。)を途中からですが観ました。記憶を頼りに感想を書きます。

 

出演者は橋下徹氏と辛坊治郎氏等。10人程の20代くらいの若いゲスト達(恐らく芸能人)が橋下氏達に質問する形式です。

 

橋下氏の「敬老パスで3000円の負担を求めたら物凄く抵抗する人達がいる。抵抗に負けずに実行した自分は凄い」との趣旨の発言についてゲストの若い人達は感心していました。しかし、選挙前には公約で「敬老パスは廃止しません」と明記していたのだから抵抗して当たり前です。物凄い偏向番組です。これをぼ~っと観ている視聴者は「橋下さんは実行力があってすごいわ~」と思うのでしょうね。このような事の積み重ねが橋下氏の人気を支えている部分もあるのでしょう(富裕層や会社等の管理職が橋下氏を支持しているという情報もあります)。 

 

大阪都構想について橋下氏が語った後に、20代くらいの若いゲスト達が「賛成」か「疑問」の札を挙げると、半分位が「疑問」の札を挙げていました。そもそも「反対」の札がないのが偏向しています。それでも若い人達(の大半)を納得させられないとは・・・

 

最後に放送法4条を掲載しておきます。1項2号、3号、4号が守られていません。

 

放送法<第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 公安及び善良な風俗を害しないこと。

 政治的に公平であること。

 報道は事実をまげないですること。

  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。(以下略)>

 

おわり

 

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