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拡声器騒音・文化騒音の本(お茶)

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カテゴリー「書籍・雑誌」の55件の記事

2016年9月30日 (金)

「伊藤真の民事訴訟法入門」

「伊藤真の民事訴訟法入門」

 

「伊藤真の民事訴訟法入門(第4版)」(伊藤真、日本評論社、1700円、2012年)を読んだので感想を書きます。

 

いくら実体法(民法、商法など)上の権利を持っていても、それを実現できなければ意味がありません。実体法上の権利を実現する手続きが民事訴訟手続きです。

 

なぜ裁判の結果が正しいと言えるのでしょうか?それは手続きが正しいから周りの人は結果が正しいだろうと考えるから(はしがきのⅴページ)です。ここの所は選挙の手続きと同じです。

 

コラム「民事訴訟法の役割」(P14)について。「実体法は公正だが手続法が不公正なA国」と「実体法は不公正だが手続法は公正なB国」とで、どちらが住み易い国かという例です。かなり極端で現実にはあり得ないでしょうが、成程と思いました。手続きの大切さが分かります。

 

民事訴訟法は、眠りの素と書いて「眠素」と言われるほど余り面白くないと言われています。実際に読むと、抽象的な概念がたくさん出て来て本当に面白くありませんでした。ただ、出来るだけ分かりやすい言葉を使って説明をし、重要な所は大きめの図を使って説明してあります(P29やP9など)。また、刑事訴訟法との違いを意識的に説明しています。本書を読めば、民事訴訟法(手続き)が一通り理解できます。一つ注文を付けるなら、巻末に索引を付けてほしいです。

 

2016年9月23日 (金)

「書籍・腰痛は<怒り>である」

「書籍・腰痛は<怒り>である」

 

「普及版 腰痛は<怒り>である 痛みと心の不思議な関係」(春秋社、長谷川淳史、2000年、1300円)をある方から勧められたので読みました。その感想(ほとんど要約)を書きます。

 

1)1章と2章について

序章から腰痛に関する「常識」を覆して行きます。羅列すると、腰痛は二足歩行の宿命ではない(P3)、腰痛は老化が原因ではない(P10)、見かけ(画像診断)上の背骨の変化と腰痛が無関係(P29)、背骨や骨盤のずれが原因ではない(P38)などです。

 

腰痛について、治療率がプラシーボを上回る治療法は確認されていないそうです(P56)。現在整形外科で行われている牽引・注射療法・薬物療法などは、効果が無いどころか副作用の恐れの方が強いそうです(P55から)。ただし、著者は画像診断について危険な疾患を発見するために必要としています(P36)。著者は、腰痛は命にかかわらない病気なので、医学界は本気で取り組んでいないと疑っています(P12)。

 

2)3章について

では腰痛の原因は何なのか。TMS理論によると、結局原因は心にあるとしています。ストレスによる酸素欠乏により神経に障害が出るそうです。TMSとは「tension myositis syndrome」の略で「緊張性筋炎症候群」という意味だそうです。著者は、腰痛患者は痛みに注目する事によって精神的なストレス(怒り)から目を背けるために痛みを感じているので、自分が感じている怒りに気付く事によって痛みが消えて行くとしています。

 

3)4章と5章について

4章と5章は、TMS治療プログラムを実践する方法です。心理療法のような感じです。瞑想など宗教的な感じがしました。一歩間違うと変な方向に行ってしまいそうです。

 

4)参考文献の書き方が変です。通常は本文に「×××である(注1)。」として、巻末の「参考文献」に(注1)は「(書籍名)」の何ページとするものです。しかし、本書は本文に注が無く、巻末に参考文献が羅列してあるだけです。これではどの部分についての参考文献なのか分かりません。このような「作法」が出来ていないと本文の内容にも疑いが生じてしまいます。

著者の経歴や保有する資格(医師免許など)を知りたいのですが、掲載されていません。

 

5)著者はTMS理論を絶対に正しい理論としている訳ではなく、仮説として提唱し、今後は科学的検証に耐える事が必要だとしています(P207)。科学的に妥当な態度だと思います。この仮説が正しいと実証されたら、整形外科界は大変革を迫られることになります。

 

2015年12月22日 (火)

「雨宮処凛の闘争ダイアリー」

「雨宮処凛の闘争ダイアリー」

 

「雨宮処凛の闘争ダイアリー」(集英社、雨宮処凛、2008年、1400円)を読んだので感想を書きます。何年か前に読んだのですが再読しました。

 

1)P17より、歌舞伎町を視察する時に「迷彩服」を着ていた石原慎太郎氏。西成区を視察する時に車から降りなかった橋下徹氏。何というか、こういう所まで似通っています。

 

2)P24より、高円寺の「素人の乱」のM氏が選挙活動としてのサウンドデモ。「路上喫煙解禁」も主張。貧乏人の味方の振りをしていますが、この方は法政大学の入試に合格する学力はあり、店舗も経営する手腕や人脈などもあるという事です。新しい形のベンチャービジネスとも言えるでしょう。この人達と私は根本的に合わないようです。脱原発デモへの違和感とも共通します。

 

3)P81より、雨宮処凛氏は、2007年の参議院選で川田龍平氏(当時は無所属、今は「みんなの党」)の支援者の一人だったそうです。雨宮氏は今では「みんなの党」に入った川田氏についてどう思っているのでしょうね。

 

4)P208より、新自由主義の新古典派経済学は「自分の利益だけを優先する人だけで社会が構成されている」と仮定。その仮定を正しいと思いこむ馬鹿が出てきた(森永卓郎氏)。

 

P217より、新自由主義で働かずに利益を得ている人達はメディアには出ない(森永卓郎氏)。これは橋下徹氏の支持者にも当てはまります。橋下氏の支持者は、ツイッター上には「B層」が多いですが、「世界」(2012年7月号、岩波書店)によると富裕層が多いそうです。あと、佐高信氏によると、「保守マーケット」というものがあって、君が代・日の丸など保守的な本を出すと何万人かいる「保守マーケット」の人達が買ってくれるそうです。私は橋下氏の支持者にはこのような人達もいると思っています。

 

P235より、ドイツではお金をかけずに食べ物を持ち寄って皆で食べて楽しむ。そこでウイットのあるトークが出来る人が一番評価される(森永卓郎氏)。こちらの方がコミュニケーション能力の差が顕著に出て格差が広がると思うのですが。

 

P239より、アメリカでは一般の学生の奨学金を絞れば志願兵が集まる(森永卓郎氏)。大阪でも公立の学校を統廃合し貧乏人は自衛隊に入る位しか進路が無いようにするつもりではないのでしょうか。

 

5)まとめ

2007年当時の貧困状況が良く分かります。ここから派遣村や脱原発デモにつながって行ったという事です。

ただ、マスコミ等で一般的に言われている事よりも自分が生活していく上での実感を重視するべきです。拡声器騒音に反対する私は、サウンドデモという手段には違和感を持っています(というより、ほとんど反対しています)。本書を読めば読むほど、私はこの世界と別な世界で生きているのではないかという疎外感を感じました。貧困に反対するために拡声器の音は必要不可欠ではありません。他の方法を探っていきたいです。

2015年12月12日 (土)

「優生学と人間社会」

「優生学と人間社会」

 

「優生学と人間社会」(米本昌平、松原洋子、ぬで島次郎、市野川容孝、講談社現代新書、2000年、740円)を読んだので感想を書きます。

 

1)第1章から第5章までの各章でイギリス・アメリカ、ドイツ、フランス、北欧、日本と優生学の歴史を見て行きます。これにより一般的には「優生学=ナチスドイツ=悪」と思われていますが、特に関係が無い事が分かります。

ニュールンベルク裁判では「ナチス断種法」の強制解除は行われず、「ナチズム=優生学」という図式は1960年代に「再発見」されたそうです(P46)。また、第2次大戦後、悪名高いナチスが葬り去られた事で、いくつかの国では本格的な科学的優生学の時代が到来したそうです(P46)。私が本書を読む前に想像していたのとはかなり違いました。

 

2)優生学と人種主義は本来別物だそうです。ユダヤ人の優生学者もいたそうです(P97)。「ナチズム=優生学」とすると、ほかの優生学が見えなくなるそうです(P240)。

 

3)また、戦争と優生学も別の問題だそうです。優生学者は「戦争は徴兵制に合格する生物学的に優秀な者が減り、劣等な者が生き残る(逆淘汰)、優秀な者を生き残らせるために戦争に反対」という考えだそうです(P75)。戦争に反対する理由も様々です。

 

4)戦後の福祉国家の方が福祉予算を抑えるために優生思想が強くなるそうです。例えば、北欧の福祉国家では、福祉を必要とする人を減らし、その分をより良い福祉を提供するために優生政策がとられたそうです(P111)。この辺りは今の日本にも当てはまりそうです。

 

5)終章では生命科学との関係が述べられます。遺伝子科学の発達による出生前診断については、優生学がどこか遠い国の昔の話ではなく、今の日本の問題であるという事です。

 

6)「優生学=ナチズム=悪」で思考停止するのではなく、正しい歴史・知識を知った上で考えるべきです。そのための入門書として、お薦めの一冊です。

2015年12月 1日 (火)

「右翼と左翼」

「右翼と左翼」

 

「右翼と左翼」(浅羽通明、幻冬舎新書、2006年、740円)を読んだので感想を書きます。

 

1)労働者階級が資本家から自由を勝ち取るために一時的に独裁制(プロレタリア独裁、P90)になることがあるそうです。そして、著者は独裁と言っても多数派の労働者階級が後押しする民主的な独裁(だから別に良い?)としています。この辺りは橋下徹大阪市長にも当てはまりそうです。特権階級(公務員)から自由を取り戻すために多数派のテレビ視聴者が後押しする独裁という所でしょうか。ただ橋下氏は財界の手先なので一般の人に利益・自由をもたらしそうにありません。

 

2)人権や環境問題を訴える日本共産党(左翼)が住宅地で拡声器を使って演説し私の静かな生活環境(生存権・環境権)を侵害する矛盾を「プロレタリア独裁」を応用して、人権が保障され平和な社会を実現するために一般人の生存権・環境権を一時的に制限しなければならないという様に説明できないでしょうか。

 

3)まとめ。

まず初めに「右翼・左翼」の辞書の意味から入ります。そして、フランス革命などの世界史、明治維新から戦前・戦後の日本史を通してどのような考えの人達が右翼・左翼と呼ばれたのかを解説していきます。特に戦後の日本の政治に関してはどちらに肩入れする訳でもなく冷ややかに述べられている所が良いです。右翼・左翼の世界史・日本史に照らした解説は良いのですが、結局著者が何を言いたいのかが分かりません(何も言いたくないのかもしれません)。

著者は、左右が分からなくなった理由を、①右や左の価値を究極まで実現したところにユートピアを見る考えが過去のものになったから(P231)、②左右の軸が何次元もあり政策のパッケージが絶対のものではなくなったから(P232)としています。

最後に著者は「帝国」(P244)や呉智英氏の「封建主義」(P253)を提案しているのですが、ここが唐突で今一つ分かりません。

結局、「右翼・左翼」の分類は特に意味は無いという事です。

2015年11月14日 (土)

「近代精神医学の成立 「鎖開放」からナチズムへ」

「近代精神医学の成立 「鎖開放」からナチズムへ」

 

「近代精神医学の成立 「鎖開放」からナチズムへ」(小俣和一郎、人文書院、2002年、2300円)を読んだので感想を書きます。

 

1)フランス革命後に行われた有名なピネルの精神病者の「鎖からの解放」について、ピネルが初めて解放した訳ではなく、鎖からの解放はあの時代には良く行われていた事だそうです。それなのにピネルだけが有名になった理由について、著者はフランスの高揚した先進国意識がピネル再評価の動きとなり突出して行ったと見ています(P48)。フランスが自国の先進性を他の国に示すためにピネルの解放を事後的に利用したという事です。

また、フランス革命後の自由・平等・博愛という精神から患者全員を解放したのかと思っていたのですが、違うようです。患者全員を解放したのではなく、解放しても良い患者(安全な狂気)と解放しない患者(危険な狂気)を識別し、解放しても良いと判断された少数の患者だけを解放しただけであり、残りの大多数の患者は繋がれたままだったそうです。

 

2)第6章において「日本の近代と精神医学」(P156からP174まで)について書かれています。明治維新における精神医学の近代化から優生学・731部隊までかなりコンパクトに圧縮されていて物足りない感じですが、本書のメインのテーマではないので仕方がありません。

 

3)精神医学が直線的に発展してきたのではなく、神経学や細菌学との関係、精神病院と大学精神科の対立、学会での派閥の優劣、戦争や政治など様々な事柄の影響を受けて複線的に発展してきたという事が良く分かります。世界史に詳しくない私からすると初めて見る人名等が出て来るので全体的にかなり読むのがつらかったです。向精神薬の副作用や患者の身体拘束など現在の精神医学の問題点については書かれていますが、それに対する解決法などは特に書かれていません。題名通り「近代精神医学の成立」について一通り知ることが出来る本です。

 

2015年10月30日 (金)

「伊藤真の行政法入門」

「伊藤真の行政法入門」

 

「伊藤真の行政法入門」(伊藤真、日本評論社、1700円、2011年)を読んだので感想を書きます。

 

1)行政法という名前の法律はなく、様々な法律が集まって行政法という分野を構成しています(P3から)。そして、学ぶのは個々の法律ではなく、それらの背後にある「行政法理論」だという事です。また、様々な歴史的な理由もあり「六法」に入れてもらえなかった行政法の悲哀が「東京六大学」を例に説明されています(P8より)。

 

2)P41には「説明責任」というコラムが掲載されています。小沢一郎氏の政治資金規正法違反疑惑が問題になり、「説明責任」という事がよく言われました。説明責任は「国民の税金を使う官僚たちに、公金の使い道を説明させる」ものであり、選挙で落選させることが出来る政治家には説明責任は無いそうです。ただし、説明しないと有権者が納得せずに次の選挙で落選するという事実上の不利益を受けます。

 

3)P55から、一人一票実現訴訟について書かれています。選挙訴訟は客観訴訟であり民衆訴訟です。被告は選挙管理委員会で、選挙の日から30日以内に高等裁判所に訴訟を提起する事が出来ます(公職選挙法204条)。ここ数日(今は2013年3月の終わり頃)、各地の高等裁判所で選挙無効の判決が連続して出ており、最高裁の判決が気になる所です。

 

4)P158より、現代行政法の視点として「二面関係から三面関係へ」が説明されています。現代の行政では「行政が、ある私人に規制権限を行使することによって利益を受ける他の私人も存在するという三面構造の構図」になっているそうです。この様な事をHIVの薬害事件、ストーカー殺人事件、こんにゃくゼリーの事故などを例に説明しています。

 

これは、まさに「拡声器騒音・文化騒音」に当てはまります。つまり、行政が拡声器を使う業者に規制権限を行使することによって利益を受ける他の私人(私)も存在する、という事です。従来は行政が拡声器を使う業者の表現の自由を規制し、それが人権侵害になる可能性があるので、違法の蓋然性が高くても行政裁量という事で取り締まらない場合もあるのですが(本当は面倒くさいから取り締まらないだけ)、現代では業者の拡声器の騒音を取り締まらないことにより住民の環境権が侵害侵害されることになるのです。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、このような視点が示されています。この方向性を掘り下げて行くと「拡声器騒音・文化騒音」解決の糸口が見つかりそうな気もします。

 

5)まとめ

題名の通り、行政法の入門書として優れています。講義再現版なので話し口調で分かり易かったです。また、コラムも充実しており、具体例をイメージし易かったです。ただし、所々に誤植があったのが気になりました。例えば、P105の下から6行目の真ん中は「関節強制調査」ではなく「間接強制調査」でしょう。1700円とページ数の割には高めの本ですが、全体的に中身は良い本でした。お薦めです。

 

2014年12月11日 (木)

「オプティミストはなぜ成功するか」

「オプティミストはなぜ成功するか」

 

「オプティミストはなぜ成功するか」(マーティン・セリグマン、講談社文庫、1994年、629円)を読んだので感想を書きます。

 

1)例えば学校の生徒やスポーツ選手は、「悪い成績を取る→自分は駄目だと悲観的になる→さらに悪い成績になる」という悪循環になりがちです。不幸な出来事に遭遇した時の説明スタイルが「永続的、普遍的、個人的」な人は悲観主義であり、学校や仕事の成績が振るわなかったり、免疫が下がり病気になる確率が上がったり、選挙の結果にまで影響するそうです。本書の原題は「Learned Optimism」、つまり「学習された楽観主義」という意味です。これは悲観主義の人も学習(訓練)すれば楽観主義になれる事を意味します。本書では、具体例を用いて「困った状況」「思い込み」「結果」「反論」「元気づけ」を行う方法も示されています。ただし、この具体例がいかにもアメリカ的なものが多いので、日本社会に合う様に自分でアレンジしなければなりません。

 

2)楽観主義だから良い成績になるのではなく、良い成績だから楽観主義になるのではないか、という批判があり得ます。

この批判に対しては、著者は楽観主義が勝利を招くのであり逆ではないと答えています。その理由として野球チームのある年の楽観主義が翌年の勝利につながる、プレッシャーのかかった場面で威力を発揮する事を挙げています(P226)。

なお、著者は悲観主義が悪いと言っているのではなく、悲観主義者の長所も書いています(P358)。そして著者は無責任な楽観主義ではなく、もともと悲観主義の人が(訓練による)楽観主義を取り入れることによって、選択の幅が広がるという「柔軟な楽観主義」を提唱しています(P397)。

 

3)楽観主義の人が上手く行くのは、アメリカの文化圏の中だからなのかも知れません。著者は、アメリカの発想をそのまま日本に持ち込んでもうまくいくとは限らないと問題提起していますが(P280)、本書ではそれに対する明確な答えは書かれていません。

自分の失敗を他人のせいにしたりすると、日本ではかなり自己中心的な人物だと思われる可能性が高いでしょう。しかし、それも程度の問題だと思います。この本を読む人はどちらかというと悲観的で内罰的(エヴァンゲリオンの碇シンジを思い浮かべました。)過ぎる人でしょうから、内心で少しくらい他人(環境や相手)に責任を転嫁してもそれほどの害はないと思います。

 

4)仕方がないのかもしれませんが、翻訳なので英語独特の表現があり読みにくかったです。あと活字が小さいので読みにくかったです。

2014年10月28日 (火)

「月刊創(2014年8月号)」

「月刊創(2014年8月号)」

 

「月刊創」(2014年8月号)を読んだので、感想を書きます。

 

1)「「黒子のバスケ」脅迫犯獄中独占手記」(P30)

報道にはかなり事実ではないことが含まれているそうですが、私はそこには興味がありません。ネットで誤りを正すというのは良い案だと思います。

この事件の原因のひとつは小学校での「いじめ」でしょう。加害者は被告人のことを覚えているのでしょうか。覚えているとしたら、この事件についてどう思っているのか非常に興味があります。

被告人は刑務所を出たあとに首を吊る場所も決めているというどうしようもない状況です。

冒頭意見陳述に誤りがあるらしく、最終意見陳述(2014年7月18日)に全てがあるそうです。

 

2)「佐村河内」騒動とメディアの責任」(P40)

12ページに渡って語られていますが、全く興味がありません。

 

3)「「ありのまま」意見を発表できない国に未来はない」(中森明夫、P64)

映画「アナと雪の女王」についての文章を「中央公論」に没にされた話です。皇室について触れてはいますが、どこが問題になったのかが全くわかりません。ここまで言論界に萎縮が進んでいるということでしょうか。あと私としては、小保方晴子氏について書いた段落はカットしたほうが良いと思います。

 

4)「中国と北朝鮮メディア考」(森達也、P84)

犯罪報道での「男」「女」の呼称について、「男性」「女性」と呼ぶべきという指摘。私は性犯罪以外で、性別を区別する必要があるのか疑問です。

著者は「容疑者」と呼んでいますが、「被疑者」と呼ぶべきだと思います。

 

5)「危うい時代だからこそいま田中角栄を論ず」(P92)

田原総一朗氏と佐高信氏は食べていける人達です。今まで得た知識を使って余裕の対談です。「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人のような必死さは全く感じられません。終了した「ぢぢ対談」の後釜になるのでしょうか。

 

6)「天皇コラージュ事件」(P110)

天皇のコラージュ作品が右翼に抗議された事件について。P24に作品の一部がカラーで掲載されていますが、私は抗議されるようなものだとは思いません。荘厳な感じでアーティスティックに仕上げていると思います。

 

7)「黒子のバスケ」事件の渡邊さんへ」(雨宮処凛、P118)

私から見たら雨宮氏は貧困問題を踏み台にして勝ち上がった人です。アニメ・漫画「カイジ」の限定ジャンケンで勝負に勝ち2階に上がった人がビールを飲みながら世の中について余裕でコメントしている感じです。

このような理由から私は最近雨宮氏に興味を失っていましたが、今月号の記事は久しぶりに読み応えのある文章でした。前半3分の2が自分語り(既出で、しかも長い)で、残りが回答です。不安定とはいえ「人生オワタ状態」でなくなったこと、「死なないで」というのは身勝手、など真摯な回答です。

 

8)まとめ。最近は「黒子のバスケ」事件のことで頭がいっぱいで、他の記事は霞んでしまいます。既に最終意見陳述はネット上で公開されていますが、コメントは後日します。

 

2014年9月15日 (月)

「月刊創(2014年7月号)」

「月刊創(2014年7月号)」

 

「月刊創」(2014年7月号)を読んだので感想を書きます。

 

1)「ヘイト・クライム」(P12、柳美里)。ツイッターでの柳美里氏に来るコメントも酷いが、それに対する柳美里氏のコメントも酷いです。カラーページにするのを止めて欲しいです。

 

2)袴田事件について、当時の新聞が被疑者の事を「悪魔のような」、「異常人格者」、「情操が欠け、一片の良心も持ち合わせていない」などと署名入りで無茶苦茶書いています(P44から)。新聞に書いてある事が事実だとは限らないので疑って読むべきだとか、そういうレベルを超えています。当時(30数年前)よりは少しはマシになっているのでしょうが、本来権力を監視すべき新聞が警察に寄りそう構造は今もほとんど変わっていない事が問題です。

 

3)「「黒子のバスケ」脅迫犯独占手記」(P50から)

雨宮処凛氏の記事への返信には興味が無いので省略して、香山リカ氏の記事への返信について書きます。

 

被告人は、自分に罰を与えてきた「何か」は「両親やいじめっ子」ではなく「超越的な神」だとしています。自分に罰を与えたのが「両親やいじめっ子」では生々しすぎるので、「超越的な神」を無意識のうちに作り上げたものだと思うのですが。

 

「誕生日のプレゼント」の話は、太宰治の「人間失格」にも同じ様な部分があります。

 

今の時代は結局、親から厳しい躾をされて自己愛を確立できなかった「おとなしい子」よりも、親に甘やかされて好き勝手しているような人が成功しています。特に誰にも具体的な危害を加えていない「引きこもり」よりも犯罪・違法行為を行ってきた「元不良」が優遇されるのです。容姿を含めたコミュニケーション能力が重視されるからでしょう。

 

この事件については、経済的な問題は余り関係が無いと思います。この方が宝くじで大金を手に入れても、ほとんど解決しそうにありません。

 

自分には人権が無い、身分制では最下層のさらに下。何というか日本的な感じがします。健全な自己愛を育てられなかった人達をどのように救済すれば良いのでしょうか。

 

通常、社会的弱者は弱者救済の方法で救済するべきでしょうが、この事件の被告人(の様な人)は、「社会的に認知された弱者」救済の方法では絶対に救われません。「社会的に認知された弱者」とは、例えば今月号だと、柳美里氏のヘイトスピーチの対象となる在日韓国人(P12)、雨宮処凛氏の「生命倫理」(P132)での障害者、冤罪被害者(袴田事件、P32)などの事です。

 

普段「人権、人権」うるさいリベラルの人でも「無敵の人」をバカにする傾向にあります。私はこの辺りにリベラルの限界を見ています。今までの方法では救済されない「絶対弱者」の救済をどうするかが問題です。一つの解決法として香山氏は良い治療者との出会いを提案するも、被告人は拒否という救いようのない状態です。

 

4)「就活を楽しむ」(P138、大川豊)

大川氏の就職の時の話やいわゆる就職をしなくても生きている人達の事が紹介されています。大川氏の時はバブルの頃で今とは状況が違います。また、ここで紹介されているのは一部の突出したすごい人の話です。「普通」の人には参考になりません。年齢制限(差別)もあるので、今は新卒で正社員になれないとそこから這い上がるのは(無理と言っても良いくらい)相当に困難です。自殺者が増えても仕方が無い状況です。

 

5)まとめ。本来なら何か問題が起きたら自分で情報を収集し自分の頭で考えるべきですが、正しい答えを探そうとする癖が付いてしまっています。良くない癖です。

月刊「創」だけではありませんが、被疑者の事を「容疑者」、被告人の事を「被告」と書いています。そろそろ直していくべきだと思います。

 

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